届く人に、届けばいい —— 私が言葉を綴り続ける理由

「あのインスタ投稿、どこかの講座で学ばれたんだと思ってました」

先日、サロンに来てくださったお客様が、ふとそんな言葉をかけてくださった。

胸の奥がじんわりと温かくなり、とても嬉しかった。

けれど、本当のことを言えば、私は投稿の仕方を誰かに教わったり、発信のセミナーに通ったりしてはいない。

もちろん、誰かに見つけてもらうためのノウハウや、「いいね」をたくさん集めるための技術を学んでもいない。

ただ、ずっと昔、Instagramを始めたばかりの頃に、一度だけ知り合いが開催していた講座に参加したことがあった。

画面の向こうで語られていたのは、今思えばとても機械的なルールだった。

「いいねを増やすには、まずこちらからアクションをする」

「フォロワーを増やすために、誰でもいいから自分からフォローしていく」

「ストーリーズは1日何本、フィード投稿は何本、とにかく毎日やり続ける」

「いいねをもらったら、律儀に返しに行く」

「フォローされたら、必ずフォローし返す」

右も左も分からなかった当時の私は、「そういうものなのかな」と思い、言われるがままに手を動かしていた時期もあった。

けれど、すぐに息苦しくなった。

決められたノルマをこなせない自分に、強いストレスを感じるようになっていた。

フォロワーが増えないのは自分の投稿が足りないからだ、内容が薄いからだ、私が悪いんだ、と自分を責めて。

きれいに整えられた他の方の華やかな投稿と見比べては、

「私は一体何を伝えればいいんだろう」

「何が正解で、どんな言葉を使えば正しく届くんだろう」と、出口のない迷宮に迷い込んでしまった。

考えれば考えるほど、言葉は喉につかえ、投稿ボタンを押すことが怖くなっていった。

そこから、いろんな経験をして、いろんな思考の巡りを経て、あるときふっと肩の力が抜けた。

「……届く人に、届けばいいのでは?」

誰彼構わず届ける必要なんてない。

私が日々の暮らしやサロンの中で見ている風景、大切に慈しんでいる感覚が、ほんの少しでも伝わればそれで十分なんだ、と。

この小さなひとつの投稿が、どこかで誰かの、何かのきっかけになってくれたら、それだけでいい。

インスタもそもそもは、普段なかなか会えない人に、今こんなことしてるよ、ここに行ってきたよ、と共有するための場所だったような気がする。

いつの間にか、ビジネスのツールに…。

その競争の場からは離れよう。そう思えるようになってから、私は「正論」を書くのをやめた。

精油の効能効果を並べ立てたり、教科書通りの「正しい使い方」を語ったり、誰かを正すような強い言葉を並べるのではなく。

植物の香りを通して、私の目に見えている柔らかな景色や、胸の奥にある想いそのものを、言葉に乗せて手渡していこうと決めた。

そこからは、すっかり気まぐれな更新ばかり。

「あの方、今週ちょっと疲れていたな。あの人に、この風が届いたらいいな」

そんなふうに、特定の誰かの顔を密かに思い浮かべながら、手紙を書くように言葉を置いている。

いいねも、フォロワー数も、本当はいらない。

数字を追いかける世界からは、もう静かに降りたから。

けれど。

「あの人に届くといいな」と密かに思っていたその人が、ある日ぽつんと「いいね」を残してくれたりすると、やっぱり胸の奥で、小さく飛び跳ねるくらい嬉しくなる。

そんなささやかな温もりを信じながら、私は今日も、この場所で細々と、私が見ている世界の風景を書き残している。