強い力を受けとめるための「器」をつくる —— 私がたどり着いたアロマのこれから
かつての私は、「アロマの素晴らしい力や効能を、もっともっとたくさんの人に知ってもらいたい」という思いを強く抱いていました。
けれど、法律の壁もあり、公の場で「〇〇に効きます」と大きな声で言い切ることはできません。
専門的な資格や裏付けとなる確かな資料があるからこそ、「ここまでなら言っていいのでは」「実際にそう伝えている人もいるのに」と、どう伝えたらいいのか分からず、じれったさやもどかしさを抱えた時期もありました。
けれど、あるとき、ふと心の中に違和感が生まれました。
「私は本当に、アロマを何かの特効薬のように伝えたかったのだろうか?」と。
病院での治療や、それぞれ専門分野のケアがある中で、どれか一つだけに頼り切るのではなく、一人ひとりが自分の心や身体の声を聞きながら、自分に合ったケアをパズルのようにカスタムしていけばいい。
アロマも、その自由な選択肢の中の「心地よいひとつ」であればいいのではないか、と気づいたのです。
「特別なご褒美としてではなく、日頃の予防として使ってほしい」
そう思っていた時期もありました。けれど今は、たまに自分を甘やかす「ご褒美の時間」もまた、張り詰めた日常から自分を守るために欠かせない、大切で愛おしいケアなのだと感じています。
心や身体が限界を迎えて何かにすがりたくなったとき、私たちはどうしても「一瞬で変えてくれる強さ」や「劇的な効果」を求めがちです。
でも、乾ききって固くなった土に急に激しい雨が降ると土砂が崩れてしまうように、あるいは、ひび割れそうな小さな器にいきなり熱いお湯を注ぐと割れてしまうように。
いきなり強い力や刺激を授かると、身体がその強さに負けてしまったり、巡りがせき止められてしまったりすることがあります。
どんな治療も、どんな専門的なケアも、あるいは誰かの優しい言葉や日々の栄養さえも、きちんと自分の身体に馴染ませて受けとめるためには、まず受け皿となる「器」を整えておく必要があります。
その器をそっと広げ、やわらかく整えてくれるもの。
それこそが、アロマ(香り)が持つ本当の役割なのだと思います。
香りが鼻から胸の奥へすっと届いたとき、無意識に噛み締めていた奥歯がゆるみ、張り詰めていた糸がふっとほどける。
身体の中に澄んだ風が吹き抜けて、自分自身の奥底から湧き出る清らかな水が、再び全身を巡り始める。
「予防は治療に勝る」
何か起きてから強い力でねじ伏せるのではなく、どんな波がやってきても受けとめられるよう、日頃から器に風を通し、しなやかな余白を育てておくこと。
サロンは、何かを無理に変える場所ではなく、あなたがご自身の器を慈しみ、本来持っている「自ら巡る力」へと立ち戻るためのランプのような場所でありたいと思っています。
「アロマは直接的な特効薬ではない」と気づいたからといって、私の学びが止まるわけではありません。
これまでに重ねてきた学びが無駄になるわけでも決してありません。
むしろ、成分や生化学、心身のメカニズムを深く知れば知るほど、「香りが身体の奥深いところで、どのように働きかけているのか」「目の前の人のこわばりをほどくために、どんな言葉でどう手渡せばよいのか」が、より鮮明に見えてくるようになりました。
知識は、声高に効果を語るための盾ではなく、一人ひとりの心と身体にそっと寄り添うための、大切な「引き出し」です。
だからこれからも、学びをとめることなく、自分の引き出しにたくさんの知恵を詰め込んでいきたいと思っています。
アロマの生化学はもちろん、身体を内側から養う薬膳のこと、日本の風土が育んだ和ハーブのこと、そして日々の暮らしの中で触れる小さな心地よさや大切にしたい感覚。
それらがバラバラな点ではなく、あるときふっと一つの線で繋がり、心と身体の巡りへと結びついていく。その循環の面白さを、私自身が誰よりも楽しみながら、これからも探求し続けていきたいです。
そうして私の中に蓄えられた引き出しが、ここを訪れてくださる誰かの器をふわりと広げ、澄んだ風を通すための、やわらかな光になれたら嬉しいです。
今日もがんばり続けているご自身の身体に、どうか澄んだ風を届けてあげてください
