梅仕事をしながら【台所の記憶】編

料理をしながら、作るものによって、いろんな記憶がよみがえる。

梅シロップの後の梅仕事をしている時は、幼少期、父方の祖母の作ってくれた梅シロップの記憶。 つかってる梅を食べて、喉がかぁ~っと熱くなった記憶。そして、台所の光景。 多分あれは、梅酒だった。そのあと、私は大丈夫だったのか?(笑)その記憶はない。

今、私の実家は祖父母の家を建て替えた家で、祖父母もすでに亡くなっているので、当時の祖父母の家も、祖父母も、私の記憶の中にしかない。

母ともよくお菓子作りから料理から、台所で色々作りながら、いろいろ教えてもらった。教えてもらった、というより、見て学んだ、という感じ。おかげで、結婚して家を出た後も、料理に関しては、それほど苦労はしていない。 シュウマイ、春巻き、餃子、包みモノは大体できるし、レシピを見れば、凝った料理でなければ、大体こんな感じ、で作れる。と思う。

その代わり、いつも大体で作ってしまうので、それが正しい味なのかわからない。何を作るにしても〇〇風。おいしければいいか、ぐらい。そして、また同じ味付けはできない。料理も出会いも香りのブレンドも一期一会。

困ったのは、最初に住んだマンションにオーブンがなかった事。実家にはオーブンがあったので、お菓子作りにしても、オーブン料理にしても、オーブンが必須な私は、オーブンレンジでは満足のいく仕上がりにならず、「一軒家に住むときは、絶対ガスオーブンをつける!」と決めた、事くらい。

今は念願のガスオーブンもある台所で、台所は私のお気に入りが揃っている。

料理をしながら、思い出すのは、母と料理をしていた時の事。 どんな会話をしていたか覚えてないが、カレーを作れば、必ず味見をし、「あれじゃない?これじゃない?」と色々入れて結局何を入れてしっくりしたかわからなくなった、とか。 シュウマイを作るにしても、餃子を作るにしても、家族5人分結構な量を作ったけど、なんやかんや楽しかったな、と今は一人で包みながら、いつも思い出す。

手伝っていた時の台所は、実家を改装する前の台所だから、今の実家の台所とは、少し配置が違う。この記憶も私の中にしかない記憶。 今でも、みそを作ったり、らっきょうを漬けたりする時は母と作ってる。この記憶も、きっとずっと私の中に残っていく。 台所で色々なことを経験させてくれた母に感謝。

私の家は、食事中のテレビは禁止だった。だからと言って、特に会話をするわけでもなく、静かな食卓だった。 でも今思うと、その分、ちゃんと味わって食べていたかもしれない。

今の子どもたちは、どんな食卓なんだろう。大人になって、台所に立った時、どんなことを思い出すのだろう。親が作っている姿を見たり、手伝ったり、食卓に並んだ料理が、どんな風にそこにあるのか知っているのだろうか。当たり前にそこにあることに感謝できる気持ちがどうか育ってほしい。

記憶は、味、匂い、風景、音、感触、五感が組み合わさることで、より記憶に残る。

だから、料理が苦手でもいい。 苦手でも、一緒に何かを作って、出来栄えはいまいちだったとしても「楽しかった」という記憶や、作っているときの匂い、家族の顔、台所の風景は、しっかりと心に残る。

うまく出来た記憶だけが、いい記憶じゃないと私は思っている。 失敗しても、たとえ美味しくなかったとしても、料理の大変さは伝わるし、楽しければまた次に活かしていけばいい。親が料理が苦手だからこそ「今度は自分が美味しいものを作ってあげよう」と思うきっかけになるかもしれない。

冷凍食品も、レトルトも、スーパーのお惣菜も、ファーストフードも、すべてを否定するわけではない。 けれど、ほんの少しでも台所で何かを作る姿を見たり、野菜やお肉といった食材に手を加えることで食べやすくなっていく、そんな過程を親から見て知る機会が、少しでもあったらなと思う。

私たちには、子どもはいない。いないからこそ、違う形で何か残していけたら、と思う。母が料理を作ってくれた時間や、両親が私たちを育てるために費やしてくれた時間、いただいたものを大切につないでいきたい。

ちなみに母は、なんでもできるし、なんでも作る。服も浴衣も作る。逆に父が何かを作ってる姿は一度きり。レトルトのラーメンを作ってくれた。母がいなかったのはなぜ?あまり聞かないほうがいいと思って、いまだに謎。そんなことで、私は男の人が料理をする姿にあこがれる。そんな人と一緒になりたかったけど、それは叶わず。好き嫌いがないことと、なんでもおいしいと感じる希少な味覚の持ち主ということだけでも感謝。